コラム

未来の姿

discussion

 

未来サロンというイベントに行ってきました。

人間中心設計、ウェアラブル、シンギュラリティというテーマに沿って、専門家が発表をするというものです。

ウェアラブルのファッションショーも面白かったのですが、特に興味深かったのは、後半のパネルディスカッションです。

 

これから10年以内になくなる仕事は?

機械的な入力作業のようなものはまず間違いなくなくなるだろうということは予測が付きます。

各種作業員や技術者の仕事がなくなるだろうということも予測としては挙がっています。

面白いと感じたのは、特に日本ではお客さんに謝る仕事はなくならないという見解です。

確かに、ロボットに謝られても火に油を注ぐ結果になりそうな気がしますよね。

AI技術がどんどん発展して値段も安くなり、結果的に、お金を払える人は人間からサービスを受け、多くの人はAIからのサービスを受けることになるのでは?という会話もありました。

いずれにしても、我々人間としては、やはり気持ちの伝わる、気持ちの繋がる関係を求める(というか求めたい)部分はあるのではないでしょうか。

 

これが30年後となると世界は全く変わるようです。

人工知能が完全に人間の能力を超えるため、お金を稼ぐために仕事をするということ自体がなくなるのでは?

人間がすることと言えば、哲学に浸る、遊ぶ、趣味に生きる・・・

専門家が考えてもこのような未来イメージになるようです。

そんな人生にどれ程の生きがいがあるんだろう?

 

また、人間自体がサイボーグ化していくという見解も私にとって新たな発見でした。

現在ウェアラブルと言われている機器を最終的には人間の頭から注射器のようなもので脳に差し込むことで、脳に直接刺激を与える。

すると、視覚・聴覚・触覚・嗅覚といった知覚は拡張されることになります。

そこにいなくても、見たいものが見られ、触りたいものに触れ、ということができるようになるそうです。

昔会った人でも名前を忘れることはなくなるということを話されていたのですが、そうなると、過去に経験した死ぬほど辛い記憶もずっと鮮烈なまま残るのでしょうか?

個人的には、時間が痛みを和らげてくれるという、脳の優れた機能は残ってほしい気がします。

 

30年後、、、病気などしなければ十分生きているだろうと思える程度のすぐ近くにある未来です。

そのわずか30年後には現在の世界秩序が根底から覆っているかもしれません。

人間から仕事そのものが消えるとなると資本主義も何も関係なくなります。

ましてや50年後、100年後はどんな世の中になっているのでしょうか?

 

現時点と比べてあまりにかけ離れた世界なので疑問だらけですが、非常に興味深いテーマでした。

 

人類がAI技術をここまで発展させてきたからには、このまま突き進むしかありません。

その先の未来は、サイボーグ化した人類とロボットがどう向き合うのでしょうか?

我が子にとてつもなく大きい宿題を与えているような気がして、少々気が重いです。

 

− 大村剛史

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